端征く海蘊(モズク)

デジタル界隈の端を目指して日々漂流する海蘊の記録的なもの

メディア・アート原論

メディア・アート原論 あなたは、いったい何を探し求めているのか? (Next Creator Book)

メディア・アート原論 あなたは、いったい何を探し求めているのか? (Next Creator Book)

テクノロジーを駆使して作られたアート作品を全般的にメディア・アートと称するようになったが、そもそも絵画などの古典的なアートも、その大流の確率は常にメディアと共にある。

では、現代語られるメディア・アートとはなにを意味するのか?という疑問から、本書に手が伸び、メディア・アートの成り立ち、原論を再確認したく、読み進めた。

  1. メディア・アートの前身は、テクノロジー・アート、エレクトロニック・アート、インターメディア、インタラクティブ・アートといったものであり、メディア・アートはそれらを継承する大枠の分野

  2. メディアという名称について、日本においては混沌としており、なんでもメディア・アートと呼称できてしまうことは、それ以外との差別化・分類を図る上で、支障がある。

  3. メディア・アートとは何か(即ち原論)を再度明確化すると、メディア・アートはメディア自体を見つめ直すアートであること。絵画にとってのキャンバス、テレビにとっての表示デバイス、写真にとっての印画紙やカメラデバイスなど、科学技術の進歩と共に豊かになる表現を支える媒体自体を拡張したり、問うアート文脈。

  4. 一部メディア・アートと呼称されるもので、単純にさまざまな技術を取り入れて表現するもの(コンピュータや、テクノロジーに囚われないもの)をハイブリッド・アートと分類し、問題がメディアに向いているものと、そうで無いものを差別化することができる。

端的には、こういう流れと解釈し、本書では歴史的経緯や、キーパーソンとなったアーティスト、作品の紹介、大局の見方が取り上げられている。 それぞれの詳細については、別途掘り下げてみようと思う。

Tensorflowのセットアップ記録

Tensorflowが登場したのは2015年。
GoogleのDeep learningフレームワークということで、ずっと触らなければならないと思いながらも、なかなか踏み出せないでおりましたが、最近になって特に必要性を感じ、本腰入れて勉強しようと奮起してオライリー本を2,3冊購入。

しかし、環境構築がうまくいかない。本当にうまくいかない 。 プログラミング学習は環境構築が5割ともいうのが身にしみる。ただ4回ほどLinuxを再インストールしてWindowsでも試しているうちに解決できたので備忘録を書き留めておこう。 次のような作業で苦しんだ。


ハードウェア構成

  • HP Z840
  • Xeon CPU E5-2620 v3 2.40GHz
  • RAM 32GB
  • Quadro M5000

  1. Tensorflow GPU版はLinux・Macでしか使えないという話を信じて、Ubuntuをインストール
     →当初はそうでしたが、2018年4月現在、Windows版もGPU対応している
  2. Ubuntu上でのCUDAセットアップが全然うまく行かず、断念
  3. WindowsでもGPU版できることを知る
  4. Anaconda, CUDA, cuDNNをインストール
  5. 環境パスを設定
  6. DLLの読み込みエラー'cudart64_90.dll'が見つからない
    →そもそもCUDAインストールフォルダーに入っていなかった →Tensorflowの対応バージョンを確認する
     Tensorflow 1.8の対応バージョンは次の通り。これを外すと動かない。
     * Python 3.5
     * CUDA 9.0
     * cuDNN v7.1.4 (May 16, 2018), for CUDA 9.0
    

    → アプリケーションを確認すると、昔インストールした(かもしれない)CUDA関連のアプリが見つかったので、一度すべてアンインストールした上で実行すると上手く行った。

反省点

何度でも言う。公式ドキュメントはよくよく読もう。

参考ページ

Installing TensorFlow on Windows  |  TensorFlow ※公式なので必読 TensorFlowをWindowsにインストール Python初心者でも簡単だった件 Windows環境でTensorFlow-GPUをpipインストールするまで

cudart64_90.dllが開けない件は前例があった

参考書籍

実践 Deep Learning ―PythonとTensorFlowで学ぶ次世代の機械学習アルゴリズム (オライリー・ジャパン)

実践 Deep Learning ―PythonとTensorFlowで学ぶ次世代の機械学習アルゴリズム (オライリー・ジャパン)

仕事ではじめる機械学習

仕事ではじめる機械学習

宇宙よりも遠い場所

前から気になってたけれど、このところズタボロに忙しくて見れずにいた本作。最後まで視聴できたので忘れないうちに触れておく。(若干ネタバレあり)


結論。モズクが視聴したアニメの中では久しいほどに良かった。
それはもう、めちゃくちゃ良かった。

キャラ全員性格に難がある

みんな自己中。けれども同じ方向向いて、一緒に旅してしかもその行く先は南極。出会って数ヶ月の同じ学校だった人、同じ街に住んでいただけの人、たまたま顔見知った他人だった4人が、泣いてぶつかってカッコ悪いところも見せながら親友となって南極にたどりつく。 王道的なストーリーなんだけど、軽快なギャグ、良い絵の動き、とても豊かな各キャラの表情。
それぞれが見ていてとても気持ちよく、一晩で一気に視聴した。

4人の構成とか「けいおん」まんまな気もするけど、4人というのは黄金比なんでしょうかね。

友達という概念

友達って概念は自然発生的で気付けば友達。いつから友達なんだっけ?なにしたら親友なんだっけ? 結月の誓約書が出てきたときは、なんだか歯がゆいような気持ちになりましたし、続く受け止め方とか、こんなのなかなかファンタジーですよね。 大人になったらこんなに純粋な利害関係のない友達なんてできないじゃないですか。 そういうところに、(おじさん)グッときちゃうんだ。

意識高いとバカにする人たちへ

目標持って頑張ってる人を、小馬鹿にする風潮ってありますよね。
本当の南極隊がそういう気持ちになっているとは思わないけど、そういう人たちに叫びたかった面もあるんじゃないかと思わずにはいられないくらい「ざまぁみろ」のセリフは響いた。

なにせ動機はお母さんのいる南極に行くこと、だったのに、南極に足を踏み出して最初のセリフが「ざまぁみろ」なのである。

このあたり「けいおん」のゆるふわ安心路線とは一味違う。
「ざまぁみろ」という喧嘩上等文句をアニメ作画の美少女系女子高生が言いまくる。 よくやった!と思わせてくれる気持ちよさ、爽快感があり、南極の風景も相まって気持ちの良いシーンに仕上がっている。

実はモズクが見ていて一番良かったと感じた点は、友達・家族・仲間との涙腺やられるストーリーラインより、この「ざまぁみろ」という言葉と、言わせても破綻のないキャラ構成だった。
汚い言葉を違和感なく吐き捨てさせられたことが、日常のストレスを代弁してくれているような気がして、それはシラセがヒナタの友達に対して「ヒナタにもうかかわらないで」と代弁したことと同じ事なのかなとも思う。

ざまぁみろ!

さよなら○○

NewsPicksが出稿した広告のコピー「さよなら、おっさん」がちょっと話題になっている

NewsPicksの「さよなら、おっさん」広告、イキリすぎて真意伝わらず : 市況かぶ全力2階建 NewsPicksの「さよならおっさん」について|望月優大|note

おっさんはネットだと叩かれがちの存在で少しかわいそうだ。
年齢的おっさんの定義であれば片足突っ込みかけているモズクだが、このコピーになんの憤りも感じないので、概念的おっさん化にはまだ至ってないのだと思う。
それよりも「さよなら、おっさん」というコピーからは1ヶ月ほど前に読んだ「さよなら未来」の読後感を思い返した。

さよなら未来

まだ「未来」なんていってんの?
https://sayonaramirai.com/introduction/

日々未来に近づくべく技術を磨いて吸収することで生業を営むモズクにとって、この言葉は衝撃を感じるとともに、別の未来世界を見せてくれる予感に、ワクワクしながら少々分厚いものの2日ほどで読み切った。

本書のタイトルを要約すると、
昭和の経済成長期に描いていた未来像は、科学技術とセットで語られてきた価値観であり、科学技術信仰とも言いかえることができる。現代日本は技術を盲信しているという課題提起からはじまる。
IT技術が全盛期を迎え、革新のスピードも徐々に落ち着きつつある現代において「技術とセットで語られる未来」ではこの先語るビジョンが無いのではないか?ということだと解釈している。

決別したい空気

さよなら、さよなら

今の日本は何とお別れしたいのだろう。
それは戦後とか、バブルの痕跡とか、遅れを取ったIT技術とか、諸国に置いてかれつつあるその他様々なポジションとか・・・。いやポジションまで決別するとただ現実逃避しているだけか。
国会では森友問題を1年論して、これも一種の現実逃避感もある。

話がそれたが、結局のところ決別したいのは現在の普通であり、それは過去が築いてきた価値観だ。 新しい幸せの価値観、富みに対する価値観、個人の多様性を認める価値観など、今までのモノサシで測れないものが噴出している今、信じるものを変え、過去にとらわれず幸せになろうよ・・・ということだと思う。
そうして変えていかなければ、オリンピックの後の嵐模様の予感が耐え難いものになるのだろう。

おっさんに対してはただの煽り文句と思うけれども、なかなか今の日本を読み解いた表現だと思う。

さよなら未来

さよなら未来――エディターズ・クロニクル 2010-2017

さよなら未来――エディターズ・クロニクル 2010-2017

ミライの作り方 2020-2045 僕がVRに賭けるわけ

マッハ新書で12時間で書いた本ということでTwitter界隈で賑わっていることで気になり手に取りました。 モズクも仕事柄、スマートフォンアプリの延長でハコスコVRやCardboardを用いたアプリ、OculusRift、Vive等は触っている身ですので、内容は共感できることが多く、OculusとGOROmanさんとの関わりに対して面白いという雑感。新書だけあってサクッと読める分量。


  • こうして僕は「GOROman」になった
  • 日本にVRを!
  • すべてを支配する「キモズム」理論
  • VRで生活はこう変わる
  • VRは社会をこう変える

年代は一回り以上違う方ですが私も似たような境遇をもち、身近に感じながら読み進めた。
プログラマーやエンジニア志す方ならつかずとも似たようなものかもしれない。
幼少の頃からおもちゃをバラすことで遊ぶ、親のパソコンを使いプログラミングで遊ぶ、遊びの中で勉強したことは強いですね。 違うのは年代とその頃のインターネットが流行った空気。親の目を記にしながらドキドキしながらネットに繋ぐ、ネットの常時接続環境にいたいから大学に進学するなど考えずとも、当たり前にネットにつなぐことができた時代だった。ネットの黎明期に青年期を過ごしていた人の話はいつもチョットだけうらやましい。

「キャズム」から「キモズム」

第2章『すべてを支配する「キモズム」理論』で出てきた「キャズム」と「キモズム」という話が出てくるのが印象的。 アニメやゲーム、漫画やもしかすると黎明期の小説などもではないだろうか。
文化になる前の段階で手法や面白いことを作り出すイノベーターが新しいことをはじめる、アーリーアダプターが広める段階では、まだ傍から見るとへんなことをしている「キモイ」と思われる人たちに見える。やってないと遅れてる頃に触りだすレイトマジョリティー層がさわりだす頃にはキモさが抜け、「かっこいい」、「新しい」と思われるようになるという話は確かにそうだ。モズクはいつも敬遠してしまう気質なので、イノベーターになれずともアーリーアダプター的な立場として動けるようになりたいと思う。

VRは社会をこう変える

2045までの話ならもっと予想のつかない方向に変わると思う。現状のVRの延長線上で社会に溶け込むにはまだ、心理的・物理的ともにハードルが高い。実務の話であればVRよりもMRのほうが当たり前になりそうな予感がする。 Magic Leapは半分眉唾で、しかし待望している身だが、Leap Motionがこの前発表したProject North Starなんかは現実味があるし、2年とか3年とかもすれば手に入るだろう。網膜投影も楽しみ。

「ビビビ」をちゃんとキャッチできるように、今は手を動かしたい。

ミライのつくり方2020―2045 僕がVRに賭けるわけ (星海社新書)

ミライのつくり方2020―2045 僕がVRに賭けるわけ (星海社新書)

漂流開始

はじめまして海蘊(モズク)と申します。

海蘊の漢字は今日初めて変換して使ってみただけですので、今後はカタカナ表記にいたします。

会社からの帰宅中ふと思いたち、自分のMacを広げブログを開設するまでにこぎつけました。
どこまで続くかわかりませんが三日坊主にならぬよう努めますので どうかご容赦いただきかつ、ゆるく応援していただければ幸いでございます。
もし、お目汚しになるようでしたら どうぞブラウザの戻るボタンを押してくださいませ。

モズクの成り立ちですが、東京にてデジタル系の会社員をしております。
はてブ はよく拝見してます。少し怖いと思うこともありたまにコメント書く程度です。

昨日はhagexさんの刺殺事件のニュースを目にし、hagexさん自身の存在は一連の取り上げを目にしてはじめて知ったのですが、なおさら怖いと思った次第です。

そんなネットの世を揺るがす大事件の折にブログを立ち上げるに思い立ったきっかけは、 自己表現の幅を広げたいという俗な成長心と、自己の顕示欲をくすぐりたい本心で、このブログに書く内容も気の向くままに、おそらくは読んだ本、時時の思考。またモズクはデジタル系のエンジニアでありますので、気になった技術的トピックなど、漂流するが如く書き連ねられる場がほしいと感じたからでしょう。

とはいえ、激務にさらされる日日を過ごしている身、毎日更新するだけの気力はおそらくありません。
たまにトピックに上がったものを目にしたとき、流し見するような気分で通りすがっていただければ、十二分に幸いでございます。

今後ともどうぞご贔屓に